もう頑張らないと決めた。50歳から始める私の「ゆる養生」健康法

自分の柱

世の中には、「健康のためには、これを食べ、あれを断ち、毎日1時間の運動を!」という、ストイックな情報が溢れています。でも正直、疲れませんか? 私も、もう疲れました。

だから、決めました。「もう、頑張らない」と。

これは、そんな私がたどり着いた、誰かと比べるためのものではない昨日の自分より、ほんの少しだけごきげんでいるための、私の「ゆる養生」の記録です。

私が「食べる」と決めた日~生きる気力を、失いたくないから~

健康のために「やめたこと」は、特にありません。
むしろ、私はある一つのことを「始める」と、決意しました。
それは「ちゃんと、食事を、取る」ということです。

年齢的なものなのか、いつからか一日コーヒーだけで過ごせたり、朝の納豆ご飯だけで夜までお腹が空かなかったり、という日が増えてきました。体重は、勝手にどんどん減っていく。でもそれは、嬉しくありませんでした。
鏡に映るのはただ、貧相に萎んでいくだけの自分。

「このままでは、体だけじゃない。脳みそまで痩せて、私の記憶や私らしさまで、失ってしまうんじゃないか」
「食欲がないというのは、もしかして『生きる気力がない』ということのサインなんじゃないか」

底知れない不安に襲われた、ある日のこと。私は、決めました。
お腹が空いていなくても、食べると。

今の私の最低限のルールは「最低でも、一日二食。そして、一度の間食」
それでもまだ不安で、気休めのようにサプリメントを水で流し込む日もあります。
でも、いいのです。これは、私の生きるための小さな「約束」だから。

私のたった一つの食のルール「お米を、食べる」ということ

たくさんの健康情報が、渦巻く中で私が自分の体のために唯一、意識して守っているたった一つのルール。
それは「お米を、食べる」ということです。

手軽な、麺やパンではなく。
しっかりと、研いで炊き上げた一粒一粒が輝く、温かいお米。(が理想!)

なぜだか、お米をちゃんと食べると体だけではなく、心にも一本しっかりと「芯」が通るような気がするのです。
それは、日本人としての私の細胞レベルの記憶なのかもしれません。(なんて!!)
この温かいご飯が、私の全てのエネルギーの源泉です。

私の3分間の奇跡。帰ってきた「100点満点のラジオ体操」

なぜ、今ラジオ体操なのか?
それは、私にとってこの体操が単なる運動ではないからです。

あれは、中学の体育の授業。ラジオ体操のテストで、なぜか100点を取ったのです。
あの時の少しだけ誇らしいような、照れくさいような、あの感覚。
それは、私にとって、「どんな些細なことでも、恥ずかしいことでも、真剣に丁寧に向き合えば、必ずそれ相応の喜びが返ってくる」という、人生で初めての小さな「証明」だったのです。

だから、今も私は真剣にやります。
一つひとつの動きに意識を集中させる。「腕を、前から上にあげて、大きく背伸びの運動…」
すると3分間の、あのたった3分間の動きが、驚くほど体全体を使う完璧なエクササイズになるのです。

体がじんわりと温まってくる。
「ああ、私の背中、こんなに凝っていたのか」と、自分の体、対話できる。

ラジオ体操は、私の過去の「成功体験」を呼び覚ましそして、今日の「自分の体」と向き合わせてくれる、最高の3分間の奇跡なのです。

【まとめ】「養生」とは、自分を甘やかすこと。

ちゃんと食べる。しかもお米を食べる。そして、ラジオ体操で体と対話する。
これが、私の「ゆる養生」の全てです。

そこには、ストイックな目標も、誰かへの見栄も、一切ありません。
あるのはただ「今日の私を、昨日よりほんの少しだけ、大切にしてあげる」という、ささやかな決意だけ。

もし、あなたがたくさんの健康情報に疲れ果ててしまっているのなら、こう思ってみてください。
「養生」とは、自分を厳しく律することではなく、自分を世界で一番優しく甘やかしてあげること!

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