ロマンス詐欺の次にアルゴリズムが運んできたのは、人生の師匠(と裏垢男子)だった話

心の柱

前回の記事で、夫の一言で涙が止まらなくなった夜から、ロマンス詐欺師との奇妙な出会いを経て、SNSのアルゴリズムに救われた話を書きました。この記事は、その続きの物語です。あの後、私のタイムラインはカオスを極め、中国のゲイマッサージ師と日本の裏垢男子が入り乱れる不思議な空間になりました。でも、その混沌とした情報の海の中から、アルゴリズムは私にとって、たった一つの「本物」を届けてくれたのです。

無数の投稿の中で、なぜか目が離せなくなった「病院の風景」

ロマンス詐欺師のおかげ(?)で、私のXのタイムラインはすっかり様変わりしていました。そんなある日、一つの投稿が、まるでスポットライトが当たったかのように私の目に飛び込んできました。

それは、ある同性愛者の男性が投稿した、通院風景の写真でした。

その方(仮にNさんとします)は、過去の性行為が原因でエイズに感染し、今は腎臓も悪くして3日に1回の人工透析を受けている、と綴っていました。複数の病気を抱え、たくさんの薬を飲んでいることも。

どうして、この投稿に強く惹きつけられたのか。
それは、この記事を見るほんの数ヶ月前、私の次女に脳腫瘍が見つかり、大きな手術を終えたばかりだったからです。見慣れてしまった、あの無機質な病院の風景。不安と安堵が入り混じる、あの独特の空気感。Nさんの投稿は、他人事とは思えませんでした。

気づけば私は、Nさんの「ファン」になっていた

私は、吸い寄せられるようにNさんの投稿を過去にさかのぼって読みふけりました。闘病の記録、日々の暮らし、社会への視点…。その文章の一つひとつから、信じられないほど優しく、知的で、そして強い人柄が滲み出ていました。

つらい状況にあるはずなのに、そこには悲壮感よりも、現実を受け入れるしなやかさと、日常の中の小さな喜びを見つけるユーモアがありました。

気づけば私は、すっかりNさんのファンになりそして、悩みながらも「フォロー」ボタンを押していたのです。

鍵垢の私に届いた、一通の丁寧すぎるDM

ただ、一つ問題がありました。私のアカウントは、もともとロマンス詐欺師を調べるためだけに作った、いわゆる「鍵垢(非公開アカウント)」です。投稿もゼロ、アイコンも初期設定のまま。普通に考えれば、最高に怪しいアカウントです。

「きっと、すぐにブロックされるだろうな…」

そう思っていました。ところが数分後、信じられないことが起こります。Nさんから、一通のDMが届いたのです。

「フォローありがとうございます。もしよろしければ、私もフォローさせていただきたいのですが、承認していただけますでしょうか?」

私は、心臓が跳ね上がるのを感じました。
鍵垢の私をフォローするには、私の「承諾」が必要です。彼は、その一手間をかけるために、わざわざご自身からDMをくれたのです。

この丁寧で誠実な対応に、私は心を打たれました。それは、これまで受け取った他のDMとは全く違うものでした。

実は当時、仕事で官能小説を書くためのネタ探しに、複数の「裏垢男子」のアカウントもフォローしていました。彼らからもDMは届きましたが、そのほとんどは誰にでも送っている自動送信のメッセージ。そこには、当然何の感情もありませんでした(あったらあったでちょっと怖いかも)

…Nさんのたった一通のDMは、乾いた私の心に、温かいお茶が染み渡るような感覚をくれました。そして同時に、仕事のネタ探しという名目でフォローしていた裏垢男子たちに、どこか申し訳ないような、自分の行動が少しだけ恥ずかしいような気持ちになりました。

人間の繋がりには、こんなにも「本物」と「偽物」があるのかと、まざまざと見せつけられた瞬間でした。

私を「母親」から「一人の女」に引き戻してくれた、優しい言葉たち

Nさんとの繋がりは、私の日常に静かな、しかし決定的な変化をもたらしました。

長女が小4から19歳になるまで、夫は単身赴任でした。その間、私から連絡することはあっても、彼から届くのは決まって「業務命令」のような素っ気ないもので、家族や私の体調を気遣う言葉など、記憶にありません。

一方で、Nさんは違いました。彼の投稿に寄せられる、多種多様なコメント。中には「私が読んでいいの?」と戸惑うような際どい内容でさえ、彼は決して見下したりせず、一人ひとりの立場に立って、丁寧に、そして温かく返事をするのです。

私は、そのやり取りを眺めているだけで、勝手に癒されていました。
乾ききった心に、優しい言葉が染み渡るようでした。

そして、気づけば私自身に不思議な変化が起きていました。

今まで、予約を取るのが面倒で、思い立ったが吉日!とばかりに、真夜中でも自分でザクザク切っていた髪を、ちゃんと美容院で切りたくなったのです。どんな服を着ようか、鏡に映る顔のシワやたるみまで、急に気になりだしました。

「あれ…? 私、もしかして恋しちゃった?」

本気でそう思いました。
でも、すぐにその感情の正体に気づきました。これは、Nさん個人への恋愛感情とは違い、Nさんの「気遣い」という優しい言葉を浴び続けたことで、私はいつの間にか、「母親」や「妻」という役割の鎧を脱ぎ捨て、「一人の人間」としての自分に、もう一度目を向けるようになっていたのです。

「孤独だ」「誰も私を理解してくれない」と嘆いていたのは、他ならぬ私自身が、自分を一人の人間として扱っていなかったからなのかもしれない。
Nさんは、その生き様を通して、私が失いかけていた「自分自身へのまなざし」を、取り戻させてくれたのです。

【まとめ】あなたの「Nさん」は、どこにいるだろうか

家庭での孤独に泣いていた私が、ロマンス詐欺師に遭遇し、人生の師と呼べる人に出会う。人生とは、本当に面白いものです。

この記事を読んでくれているあなたも、今、何かの役割の中で、自分を見失いそうになっているかもしれません。
でも、忘れないでください。あなたは、誰かの妻である前に、誰かの母親である前に、かけがえのない「一人の人間」です。

あなたの心を温め、あなたが「一人の人間」に還るきっかけをくれる出会いが、この広い世界のどこかに、きっとあります。
それは、私にとってのNさんのような人かもしれないし、一冊の本かもしれないし、思いがけず見た一本の映画かもしれません。

大切なのは、ほんの少しだけ、昨日とは違うことに興味を持ってみること。
孤独からの本当の脱出とは、誰かに出会うことではなく、「忘れかけていた自分自身に、もう一度出会い直すこと」なのかもしれません。

この記事が、あなたがあなた自身に出会い直す、小さな旅のきっかけになることを、心から願っています。

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